ボマルツォ散歩(パートT)

    @   ボマルツォ行き

今日でローマ滞在三日目、気分を変えて今日は郊外に飛び出すことにしよう。

ボマルツォまではローマ・テルミニ駅から北の方角、フィレンツェ行きの鉄道で約100km。ナポリとかフィレンツェ見物も候補にあげたが2〜300kmの距離があるし、かつその日の宿もローマ市内に予約済だったので、ちょっと日帰りはたいへんかなと思い、結局は比較的近いボマルツォ行きに決めたのだった。ボマルツォは一般の観光ルートではほとんど無視されていて、めったに来れそうもない所だし、この機会だからこっちへ立ち寄って行くことにしよう。

今回のローマの旅は成り行きまかせで、つい一週間前に突然決めたものだった。現在住んでいる千葉から近々郷里の山形に引き払うことになったので、金と時間の余裕があるうちに、それにせっかくすぐ近くに成田空港があるというのに、全然利用した事がなかったものだから、どこでもいいので海外へ飛び出そうという単純な発想だった。行き先はどこでも良かった。急なので周遊観光ツアーも取れないし、一人旅の自由行動では都市間移動もたいへんだろうということで、結局ローマだけの一週間の旅に決めたのだった。

周囲を城壁で囲まれたローマ市街地は以外とこじんまりとしており、2日も滞在すると、地下鉄とバスでほぼ自由に動き回れるようになった。3日目はシスティーナ礼拝堂のミケランジェロを見学したかったのだが、その日はあいにく「日曜はだめよ」のとおり、ヴァティカン博物館は休館日だった。で、どうしようかなと旅行案内書に目を配っていたら、たまたま1ページだけボマルツォのことが記載されていたものだから、ついつい成り行きまかせの悪い癖がでて、その日の予定を変更してしまった。ボマルツォのことは澁澤龍彦の本で、おぼろげながら以前から知ってはいたが、ローマの近郊ということも判らなかったし、実際にそこまで行くなんて今まで考えてみたこともなかった。                                                                                                                                                         

    A チケット

あのベルニーニが作ったトリトーネの噴水があるバルベリーニ駅までは、宿泊しているホテルから歩いて4〜5分、そこから地下鉄に乗れば二つ目の駅がテルミニ駅だ。ホテルを早朝5時過ぎに出て、もう6時前にはテルミニに着いていた。朝早いので周囲はまだ薄暗く、駅構内にもあまり人はいない。早速乗車券売り場の数人の列に並ぶ。ボマルツォ方面への列車の便と最寄の駅名は昨日のうちにおおよそは調べてある。

順番が廻って、窓口で「アッティヤーノ・プリーズ」と言うと、年配の男性の係りが、怪訝そうな表情を見せて下の方から私の顔を覗き込んだ。東洋人らしい中年男がこんな朝早くから一人で来て、一体どこへ行くのか、という素振りであった。「イエス!アッティヤーノ」と言うと、やっとうなずいて切符発行の作業にとりかかった。そして続けざまに早口のイタリア語で質問された。イタリア語はかんたんな挨拶ことばぐらいしか判らない。聴き取れなくて、何を言っているのか意味不明。そのうち、指を1本、二本と突き出し、「ワン?ツウ?」と問いあわせてきた。たぶん客席が一等か二等のどちらにしますか?もしくは片道・往復のどちらにしますか?のいずれかだろう、と考えた。とすれば、一等車には当然乗るわけがないし、返りの切符を買う手間が省けるので往復切符のほうがいい訳で、どちらにしても「2」を選択すれば間違いがない。結論が出た。「ツウ!」とVサインを出してお金を窓口に支払うと、2枚の航空券のような乗車切符とお釣りが窓口から差し出されてきた。料金は9.3ユーロ(1,300)だった。

テルミニ駅は映画「終着駅」でおなじみのローマの玄関駅だ。駅と駅の間の通過駅ではなく、櫛のようにホームが何本も並んでいて、コンコース側がすべて車両止めのつきあたりになっている。だからこれから出発するすべての列車がテルミニ駅始発という訳だ。

 1番線・714分発、アッティヤーノ着は89分、一時間弱の鉄道旅だ。出発時間まであと35分ぐらいある。ホームの売店で焼き立てのパンを少し買い、エスプレッソをキュッとひっかけ、軽い朝食代わりにした。駅の立ち食いそばといったところか。(そう云えば、そろそろ味噌汁が恋しくなったなあ。)

    B   車窓風景

 初めて乗る列車は日本の急行列車とさほど変わらない。乗客は少なく車両内はがら空きだ。前向き2連の座席に悠々一人掛けができた。5〜10分ぐらいだったと思うが、平気で出発が遅れ、そして何のアナウンスもなくおもむろに列車はゴトンと動き出した。都市部の喧騒を離れ、だんだんと建物がまばらになっていくと、車窓は郊外の木々を写しだした風景に変わっていく。

 先ほどの2枚の切符を取り出して良く視てみると、同じ切符が2枚あるではないか。ここでやっと失敗に気がついた。「2」は1等2等の「2」でもなく、往復の「2」でもなく、2名の「2」だったのだ。窓口員は一人旅か、それとも連れが居るのかを確認したという訳だ。まあたいした金額でもないのでいいことにしよう。

ほどなく列車は次の駅に停車した。車内放送もあるわけでもなく、持っている旅行案内書にも精細な鉄道地図など載っていないので、目的の駅にうまく降りれるのだろうかという不安が頭の中を過ぎった。何しろ、何の車内放送もなく、いきなり動いたり、止まったりするのだ。しばらくして、車掌が車内に回って来た。改札だ。さきほどの切符を1枚だけ手渡すと、確認後、小さな孔を開けて返却された。アッティヤーノはこれから何番目の駅かと聞くと、次の次の駅だという。これで少しほっとした。イタリア語は「チャオ」と「グラッツエ」ぐらいしか判らない。英悟だって自由に会話が出来る訳ではないが、不思議に身振り手振りを加えれば何とか簡単な用件は足せるものだ。たまには乗車券購入のような失敗もあるけれど...。

やがて窓の外は小川や林などのある原野を写し出し、きちんと整えられた果樹園や畑に農家などを加えた田舎の風景が入れ替り立ち代り現われる。遠方の小高い丘といったらいいのか、そんなに高くない小山のてっぺんに、城壁に囲まれた城なのか集落なのか、古風な建物群が時々姿を現わす。おそらく何百年前からほとんど変わっていないのだろう。

 C アッテヤーノ

ほどなく列車はアッティヤーノに到着した。小さな駅だ。子供の時分によく利用した三陸の田舎の駅を思わず思い出してしまった。降りたのは私一人だけだ。乗降客も駅員も誰一人姿が見えず、もちろん改札などもない。駅舎の右端に進むと売店があり、店番の男が、たぶん近所の知り合いと思われる男と何か世間話をしていた。小さいが必要なものはたいてい揃う、いわゆるキオスクのような売店だ。私が笑顔で店番に近づくと向こうも笑顔で挨拶を返してよこした。一言も発しているわけではないがこれが最初の会話だ。「この辺りの地図か観光案内書が欲しいんですが」と聞くと、店には置いていないと、そっけない返答だった。これでボマルツォがそれほど観光化されているわけでないということが判った。ボマルツォの「パルコ・デ・モストリ」に行きたい旨を告げると、今日はあいにく日曜日でバスが出ていないとのことだった。イタリアでの「日曜はダメよ」ってこういうことなんだと改めて認識した。

もちろんその間に店のものをお付き合いで何か買うという礼儀を忘れてはいない。日本ではちょっと見られない、少し毛色の変わった菓子類を2〜3購入した。店番から、「タクシーでも呼びましょうか?」と親切なアドバイスが返ってきた。ローマ市内でならわかるが、こんな田舎で、しかも朝早くからタクシーでもあるまい。困ったな、どうしようか。でも距離がそれほどでなければ歩いてでもいいんだが、・・・。

「ボマルツォまでどれくらいの距離があるの?」と聞くと、店番からなんと「イッチキロ・ミータ」との返答が返ってきた。1kmなら歩いて15〜20分程度の近距離ではないか!そう勝手に解釈すると、道の方向を確認するや、すぐさま駅を後にして歩き始めた。                                                                                                                                                                                                     

D ボマルツォへの道

まだ8時半を少し廻ったばかり、すがすがしい朝の散歩だ。静かな南ヨーロッパの田舎道を今、この足で歩いている。ほとんど人影が見当たらず、時々車だけががすれ違うだけで、線路に沿った道の脇にはぽつりぽつり民家の他に農機具屋、陶芸工房など見られ、典型的な田舎の風景が続く。アッテヤーノの街はここからは少し離れているらしい。

 1〜2キロも歩いただろうか。なかなかボマルツォらしき処は見当たらない。だんだん不安にかられてきた。そのうち、道がT字路になっていて、その交差点の角に青い道路標識があった。読んでみるとなんと「ボマルツォ右方向9km」と書いてあるではないか!でも確か、さきほど「イッチキロ・ミータ」と聞いたのだが、・・・。

後で調べて解かったのだが、さきほどの駅の店員が云ったのはイタリア語で「ディッチ・キロミータ=10km」だったのだ。そう言えばおかしいと思った。駅の売店のイタリア人が日本語など知っているわけがないんだ。このように異国ではかってな解釈による「理解」が「誤解」だったということは度々あるので、事前の下調べと簡単な語学の勉強が必要だ。(教訓!)

 ボマルツォまで10kmでは徒歩で約2時間半の行程ではないか。でも今朝早起きしたので、時間はたっぷりある。今日は天気も良いし、田舎道の散歩もなかなかいいではないか。テクテク歩くことにしよう。                                                                                                         

E    ヒッチハイク

高速道路のインターな辺りをを過ぎ、鉄道高架の下をくぐり、駅からほぼ1時間も歩いただろうか、周囲には畑や木々や小川だけの全くの田園風景になってきた。ほとんど人影は見当たらず、相変わらず時々車がすれ違うだけだった。同じような田舎風景を満喫すると、そろそろ足もくたびれてきた。ヒッチハイクでもしてみよう。ところがいざやって見るとなかなか止まってくれないものだ。数台空振りに終わったあとで根気よく続けていたら、1台のポンコツトラックが止まってくれた。作業労働者風のオヤジが1人で運転していた。                                          ボマルツォ迄行きたい旨を告げると、イタリア語で何やら返答してきた。でもまあ、とにかく乗れという合図らしく、おもむろに助手席に乗り込んだ。助手席は足元に泥のついた工具が転がっていて汚かったがそんなことはおかまいなしで乗せて貰えるだけで有難かった。ポンコツトラックにはなんと[DATSUN]のブランドが入っていた。おお、ダットサンではないか!と私が驚くと、オヤジはニヤニヤしながら自慢下にイタリア語でペラペラとまくし立てて来た。きっと長いこと仕事の相棒として馬車馬のような働きをしているのだろう。こういう場合、[TOYOTA」では恰好がつかない。やっぱり[DATSUN」でなけりゃ・・・。                                                                               2〜3分も走ると道が二つに分かれるところで停車した。右へ曲がったところが、仕事場で、左へ真直ぐ行くとボマルツォだと教えられた。さきほど乗せるのを躊躇したのは、すぐそこまでだから大して約に立たないよ、ということだったのだろう。降り際にポケットからユーロを取り出してお礼をしようとしたが、ノンノンそんなんじゃないと首を横に振って、頑として受け取らなかった。

 またとぼとぼと歩き出した。道はだんだん山道に差し掛かっていた。ボマルツォまではまだまだありそうなのでヒッチハイクを続けた。しばらくして小型のセダンが止まってくれた。さきほどとは違って車の中は小奇麗で、生活の余裕が感じられた。私は助手席に乗り込んだ。「ボマルツォに行きたいのだが、日曜日でバスがなくて困っている、日本から来て一人旅をしている。」の意を告げると、ニコニコしながらうなずき、運転しながらいろいろな雑談をしてくれた。イタリア語がほとんど判らないのがつらい。そのうちじぐざぐの登りの山道にさしかかり、しばらくすると右側に折れる道路の交差点のところで、「PARCO DEI MOSTRI」の看板があった。そこで車は停車した。「ここをいけばPARCOだよ」と紳士から言われ、車を降りた。ここでもお礼に、せめてタバコ代にでもとポケットからユーロをとりだすと、やはり「ノン、ノン」と言って顔と手を横に振った。感謝の意を表すと、それだけで満足だという笑顔を見せた。私は立ち去る車を見送り、車が見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた。

      

     E    ボマルツォの村落

 さあボマルツォだ、ボマルツォだ。るんるん気分で足が動いた。しばらく野道を歩くと左側が高い石壁になっていて、またその上に古めかしい石造りの建物群が聳えている。ボマルツオの村落だ。道の右側の方は山を切り開いて果樹園や畑が拡がっている。今日は日曜日の、しかもまだ朝だ。誰一人、人影が見えない。教会へでもいっているのだろうか。やがて道は二手に分れ、「PARCOは右側へ下る」の黄色い標識があった。それに従って右側へ、一人でとぼとぼと誰もいない道を下って行く。                               2月中旬と云えば、山形ではまだ雪に埋もれている頃だが、ここはだいぶ暖かい。冬をパスして、秋からそのまま春に移ったと云う感じで、草木の緑が絶えることなく残っている。それが今からだんだん鮮やかになっていくことだろう。          

     

   

F  村落を振り返る                                              もう先ほどのボマルツォの集落があんな高いところに見える。「パルコ・デ・モストリ」は集落の下の森をを切り開いたような場所にある。周囲にあるのは果樹園と畑ぐらいだ。1500年代にイタリアの貴族で、かつボマルツォの主ヴィキノ・オルシニ公が自分の飽くなき嗜好に任せ、私財を次ぎ込んで建造した怪奇な庭園で、「パルコ・デ・モストリ」(ボマルツォの怪獣庭園)と呼ばれ、世の好事家の注目を浴びている。                                                    ほどなく入口の案内所の小さな建物が見えてきた。駐車場が建物の前にあるが、先客の車らしきものも一台もなく、誰一人客らしき人がいない。とにかくここまでせっかく来たのだから、入場することにしよう。チケット売り場の窓口の奥には番人の中年の男が一人いた。すぐ脇のところにはおみやげの売店やちょっとした休憩所があったが、入場料の8ユーロを支払うと、建物の中をそのまま通過し、奥のほうの木々に囲まれた庭園に通ずる散歩道へと進んだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

I  [PARCO DEI MOSTRI」       の入口が見えた

   (以下パートUへ・・・)








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